社長の息子である僕にとって、バスコは幼いころから、自分の地続きにある存在でした。仕事の話もよく聞いていたし、知っている従業員の方もたくさんいて、漠然と「いずれは自分もここで働くのかもしれない」と感じていたように思います。具体的にそんな話が出てきたのは、20代もなかばになってから。それまでにたくさんの経験がしたくて、大学卒業後はインドに行きました。日本向けの洋服を検品する会社に勤め、日本に送られるインド産のアパレルをたくさん見て……なかにはバスコのアイテムもあったんですよ。商社と違って、直接インドの工場と連携して自らものづくりをしているバスコは、外から見てもなんだかユニークな存在でした。
次はニューヨークに渡り、語学学校やファッションスクールに通いながら、日本人デザイナーのファッションブランドでインターン。28歳くらいで帰国して、東京にあるアパレルの生産管理部に、4年間勤めました。事務所内に縫製場があるような会社で、ものづくりを川上から体感できたのは、とても大きな財産です。パリ出張でブランドオーナーがアイテムをつくりだす現場を見せてもらったり、生地の大きな展示会に出席したり、見聞も広がりました。僕が生産管理の道を選んだのは、レディースのバスコで自分の貢献できることを考えたとき、生産の知識を持っておくべきだと思ったから。自分たちで考えたものを自分たちでつくって売るのは、バスコの大きな魅力です。いま振り返れば、そうやってものづくりと真摯に向き合う姿勢に、僕は小さなころから憧れを持っていたんだと思います。
Interview
より強く、より心地よいバスコに出会うため
ブランドのDNAを改めて見つめ直す。
専務 / 小畑 陽規
バスコにたどり着くまでは、国内外で見聞を広げた
バスコの物語を知り、伝えていく作業
いよいよバスコに入社したのは、2021年の2月。百貨店営業や店舗運営のサポートをしつつ、会社全体の在り方や今後の方針を考える立ち位置として、専務に就任しました。会社の今後を考えると、社長がいままでどおりずっとデザインをし続けるのは、難しいかもしれない。そんな状況で後継ぎとしてするべきことは、バスコが何を目指し、どんなものをつくってどんな人に届けたいと思っているのかを理解して、最適な仕組みを整えていくことだと考えました。そこで最初に手を付けたのは、社長や相談役へのヒアリング。ブランドや会社に対してどう考えているのかを、時間をかけて聴き取っていったのです。こうしたWebサイトの改修なども、情報を整理していくなかで必要だと感じたことでした。
バスコというブランドが30年以上、よいものをつくり続け、多くのお客様に愛されていることは、それだけでとても尊いことだと感じています。でも、いままでと同じことをやっていても、これからのバスコは続いていかない。個性を研ぎ澄まし、より愛されるブランドになるべく、僕たちは変わっていかなくてはいけません。そのためにも自分たちのDNAをしっかりと見つめ直し、ブランドの定義やさまざまな判断基準を明確化していく作業に、粛々と取り組んでいるところです。
そのなかでバスコの良さが改めて見えてきたら、それを社外へきちんと伝えていくことも欠かせません。バスコはもともと職人気質が強く、「よいものをつくって、わかる人に買ってもらえればいい」と考えるところがあったように感じます。でも、ものづくりの背景や姿勢に重きを置く消費者は増えているし、バスコにはお客様にお伝えするだけの確かな“物語”がある。ブランドの魅力を発信していくことは、社内外のバスコ愛を深めてくれるはずです。だからこそこの数年は、Webサイトや広告での発信にも力を入れはじめています。
それから、業務効率化も進めていきたいことのひとつですね。これまでは春・夏・秋冬の年3回コレクションを発表していましたが、一般的なコレクション発表時期と微妙にずれているため、業界の仕入れタイミングと合っておらず、卸先開拓やイベント参加が困難でした。でも、長年このタイムラインでやってきているから、急に「今年から一般的なスケジュールに合わせて、春夏・秋冬の2コレクションにします」とはいきません。タイムラインを変えるためには、どこかで例年とは違う作業のしわ寄せが発生します。でも、こうした大きな変化を取り入れて、ブランドを前に進めていくことこそ、僕が果たすべき役割。流れをかき回している実感もあるし、唯一の正解なんてないけれど、ちゃんとその時代の最適解を探っていきたいのです。社長とはまた違う目線で社内の意見を吸い上げ、周りとよく話し合いながら、大小の改革を進めていきたいと思っています。
ブランドを支えてきてくれた人、場所、環境への感謝
その先で構築したいのは、社員のみんなが働きやすく、個々の能力をのびのびと発揮できる環境です。風通しがよく、それぞれが自分の業務の垣根を越えていろんな仕事をしてこられたのは、バスコのいいところ。でも、マルチタスクをしすぎるあまり、社員一人ひとりがそれぞれの専門性を磨く機会は、少なくなってしまっているかもしれません。誰もが何かのプロフェッショナルでいられるように、会社は研鑽の機会を提供していかなければならないと思っています。そのうえで「バスコはこういうブランドで、こちらへ進む」という方向性がはっきりと共有できていれば、一人ひとりが自立して動きやすくなるはず。個々の輝きによって、会社もともに進化していけると思います。
先日、共同創業者の髙橋が代表を引退したときに、さまざまな時代の従業員が集まって、楽しく過ごす時間がありました。バスコを引き継ぐ一人として、僕にはあのうれしい瞬間をずっと続かせていく責任がある、と感じています。一緒に働いてくれるみんながいるから、バスコがあるんです。そういう意味では、福岡という土地への還元もできたらいいですよね。福岡を面白くするのは、バスコのように福岡本社を持つ会社でありたい。地元を牽引するような存在になっていけるよう、いっそう力を尽くしていくつもりです。
そして、天然素材をメインに扱うブランドとして忘れてはいけないのは、環境への負荷。これまで恩恵を受けてきた地球に対しての感謝は、ちゃんと示していきたいと考えています。サステナブルな新素材を積極的に取り入れたり、お客様に長く着ていただけるものをつくったり、バスコだからこそできる方法を探っていきたいですね。